すぎやまがドラゴンクエストと出会うきっかけとなったのは、すぎやまが「無類のゲーム好き」ということが大きな要因だったようだ。実際、自己紹介においてもゲーム歴70年を自称し、若い頃はゲームをするためだけに東京から横浜まで車で通い詰めるというほどであった。
1980年代前半にエニックス(現スクウェア・エニックス)から発売されたパソコン版ソフト「森田将棋」の駒の組み方に疑問を持ち、同ソフトに添えられていたアンケートハガキを自ら書き、販売元のエニックスに送ったところ、エニックスの担当者が「おい、あのすぎやまこういちからハガキがきたぞ!」と慌てふためいたという話が伝説となっている。そのハガキにびっしりと書かれた感想を見て、「これだけゲーム好きな人なら一緒に仕事ができるのでは?」という事で、すぎやまにドラゴンクエストの作曲の依頼をしようということになった(ちなみに、アンケートハガキの名前がペンネームどおりひらがなで書かれていたため、初めは子供からの手紙と勘違いされそうになったとか)。
ところが、ドラゴンクエストの初代プログラマー・中村光一(現チュンソフト代表)は「有名な作曲家というだけで、ゲームの楽しさがわからない方だったら困る」と、当初は反対意見を持っていた。またすでに中村光一の仲間のサウンドプログラマーが作曲した音楽が何曲かできていた。それで二人が初めて顔を合わせた時の中村の反応は、すぎやま本人の話によると「俺達のグループによそ者が入ってきたな? とでも言わんかのような雰囲気だった」とのこと。
しかし2人が実際に話をしたところ、ゲームの話でかなり盛り上がり、特にすぎやまが若い頃にハマりにハマったという「ビンゴ」というゲームについて語ると、その瞬間から中村のすぎやまに対する態度が変わり、初めのよそ者を見るような目つきが、すっかり尊敬の眼差しに変わったとのこと。そして中村光一はすぎやまこういちを「本当のゲーム好きで、驚くほどゲーム音楽というものを理解している」ということで、すぎやまへの作曲の依頼を了承したという。
すぎやまこういち - Wikipedia (via lbuki) (via ssbt) (via n13i) (via ajiponn) (via kanal)『M-1グランプリ』では、2003年から2007年にかけて5年連続準決勝進出を果たしている。2008年には見事に決勝進出を果たすも、5位に終わった。
* これが原因で『レコメン!』の罰ゲームで本籍地を栃木県から文化放送のある東京都港区浜松町に移すことになった。
* しかし、レギュラー出演している『イブニング6』内の「Road to J SC 一枚岩」(2009年1月5日放送)で、「とちぎテレビと栃木県を盛り上げてくれた」との理由でとちぎテレビ社長・齋藤清衛から感謝状と金一封を贈呈された。
これで頭をぶっ飛ばされたものは、たとえ魔法で眠らされていても必ず目を覚ます不気味な形状のモーニングスター 。目覚めている者に使った場合は「死」有るのみ。 BASTARD!! -暗黒の破壊神- - Wikipedia
